大阪地方裁判所 昭和43年(わ)3048号 判決
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(事実)
被告人は、昭和四三年九月一八日午後六時ごろ、大阪市西成区東入船町四番地簡易宿泊所大松ホテル前歩道上において知人である古物露店商谷山こと金元東(当時五一年)が酒に酔つて仲間の金始永にからみ、「殴つたる」と言いながら金始永に近づいたため、金元東を制止しようと両者の間に入つたのであるが、この場合金元東は相当酒に酔つており足元もふらふらしている状態にあつたのであるから、これを制止するについては、急激に外力を加えて身体の安定を失わせ不慮の事故を起こさせることのないよう十分注意すべきであるのにかかわらず、金元東の前に立ちはだかつて胸元を両手で押しとどめ、同人が酒の勢いでなおも被告人の両手を払いのけて金始永に迫ろうとしたのに対し、「これだけ言つてもわからんのか、ええかげんにせんかい」と言いながら戒めのために不用意に金元東の左頬を右平手で一回殴打した過失により、同人をして身体の安定を失わせ、アスファルト舗装の車道上に転倒させて左側頭部打撲傷を負わせ、これに基づく脳挫傷兼脳圧迫により同月二〇日午後五時五五分ごろ、同市阿倍野区阿倍野筋三丁目一二番地の一二相原第二病院において死亡するに至らせたものである。
〔判決理由〕(傷害致死罪の成立を否定した理由)
検察官は主訴因として傷害致死罪の成立を主張するので、この点につき判断するに、まず、被告人は当公判廷において被害者金元東が転倒したのは殴つたからではなく同人を押しとどめようとして肩を突いたためであると供述するが、右は証人金始永、同奥村九四郎の当公判廷における供述、大山政美、奥村九四郎の捜査官に対する各供述調書、被告人自身の捜査段階における供述内容にてらして措信できず、結局被告人は判示のように、「ええかげんにせんかい」と言いながら平手打ちにし、このために金元東が身体の安定を失つて転倒したものと認められる。そこで、被告人の右所為が刑法(二〇八条)にいう暴行に該るか否かが問題となるので、この点につき検討する。
まず、被告人の平手打ちの強度についてみるに、前掲各証拠によれば、金元東は、当時飲酒のためしたたか酔つており、足元もふらふらする状態であつたことは明らかであること、証人金始永の「被告人は金元東を軽く叩いた」旨の供述、大山政美の捜査官に対する「金元東はよろけて倒れた」旨の供述、判示認定のように被告人はその右平手で金元東の左頬を一回殴つたのに助川義寛作成の鑑定書によれば金元東は同じく左の側頭部に打撲傷を負つており、この部分が地面にあたつたものと認められること実況見分調書によれば金元東が立つていた歩道上の位置と転倒した地点とは一、二米離れていると認められること、を総合すると、被告人の平手打ちの強度は相手を殴り倒すほどの強いものであつたとは到底認められず、金元東が転倒したのは、同人が酒に酔い足元の不安定な状態のまま被告人を払いのけようとしているところを被告人が平手打ちにしたため、安定を失つて二、三歩よろけながら後退し、歩道の端から足を踏みはずして後方車道に転倒したものと認めるのが相当である。(証人奥村九四郎は当公判廷において被告人が叩いたときぱちんと強い音がし、金元東は殴り倒されるように頭から落ちた旨供述するが、右は、同人作成の捜査報告書、同人の検察官に対する供述調書ならびに前掲各証拠にてらし信用性に之しく採用しえない。)そして右事実と、(1)被告人は金元東と二〇年来の知り合いで同人の酒癖もよく知つており、これまでも金元東が酒に酔つて他人にからんでいるときこれをいさめたり、相手に謝罪してやつたりしたことが何度もあつたこと、(2)本件の直前にも西側歩道上で通行人にからんでいた金元東を被告人がなだめ、通行人に謝つてやつていること、(3)本件に至る経緯をみるに、酒に酔つていきり立つている金元東が車道を隔てて金始永と口論をはじめ、「殴つたる」と言いながら車道を横切つて東側歩道に上り、他方金始永もこれに応じながら数歩金元東の方に近づいてきており、場合によつては喧嘩になることも予想されたことと、(4)被告人が間に入つて金元東の胸元に両手をあてて押し戻そうとしたのに対し、同人はこれを払いのけようとしていること、等の事実とを合せ考慮すれば、被告人の本件所為は酒に酔つて金始永にからみ、殴りかかる恐れのある金元東を制止しようとし、同人がこれにかまわず被告人を払いのけてなおも執拗に金始永に迫ろうとしたのに対し、被害者を覚醒させてこれをやめさせるためにとつた制止行為と認められるのであつて、このような場合、付随的に「こんなに言つても友人である自分の言うことを聞き分けてくれない」との趣旨の腹立たしさが殴打行為に出る動機の一因をなしているとしても、その一事をもつて制止行為としての相当性の範囲を逸脱するものと解することはできない。以上により、被告人の本件所為を刑法上の暴行にあたると認めるに足る証拠はないから、傷害致死罪の成立は認められない。(古川実 川上美明 二宮征治)